念仏和讃 |
胴取り(太鼓)は歌も担当します。その中の念仏踊りで歌われる念仏和讃を紹介します。 この念仏和讃にのせささらが香炉を高く持ち庭をめぐり踊り手一人一人に焼香させる。 念仏和讃は、地蔵和讃・七月七日・花和讃の3種。供養する方により歌い分けられる。 |
●地蔵和讃 (じぞうわさん=先祖供養で歌われるもので、主に歌われるもの。) 帰命頂礼地蔵和讃 香の煙は 細けれど 天にのぼりて雲となる 雲はなに雲 五色雲 五色の雲の その上に 地蔵菩薩が お立ちある 拝むとすれば 雲かかる 雲が邪険で 拝まれぬ 雲が邪険でなけれども 我が胸 邪険で 拝まれぬ |
●七月七日和讃 (しちがつなのかわさん=毎年8月7日に初茶(新盆)者の家々を訪ねた際に歌われる。) 七月七日という日には 親の御墓を 刈り払い 長い草をばカマで刈り 短い草をば手でむしる 御墓参りのその戻り 雨も降らぬに袖ぬらす なにが嘆きか幼子は 父に別れてダイサンニ 母に別れて今日七日 七日なれども人寄らぬ 人の寄らぬも道理かな 父はエンマの生れ人 母は播磨の生れ人 わしは両国 一人者 |
●花和讃 (はなわさん=初茶供養などで初茶者が子供(独身者)の方に対して歌われる。) 帰命頂礼花和讃 昔故郷のかたわらに 花のようなる子を持ちて 蝶よ花よと育てしが 五つと申せしごんがつの 五日と申せしその日には 無情の風に誘われて ミダの浄土へ参るなり あとに残りし父や母 ゴザと枕をあいそろえ 我が子が来るかと待つれども さながら我が子も来るもせず すみぞめ衣に身をやつし 菅のお笠で顔隠し ずじく小竹を杖につき 七十六国巡れども 我が子に似たりし者もない あまり我が子の恋しさに 花の御寺へ立寄りて わずかのそえんに腰をかけ 花をつくづくながむれば 開きし花は 散りもせず つぼみし花の散るを見て これこそ我が子に似たや花 また来る年も咲けや花 見送る年も咲けや花 我が子が恋しと思うなら 地蔵菩薩に 頼みあれ |
※読み方 帰命頂礼=きみょうちょうらい 先祖に香をたむけ両手を合わすその心と解釈しています。 地蔵菩薩=じぞうぼさつ 香 =こう 拝 む=おがむ 五 色 雲=ごしきぐも 邪 険=じゃけん 播 磨=はりま |
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